大阪市大正区

大正区中部

大阪市大正区

大阪ベイエリアのガチ工業地帯「大正区」の大部分は鉄道空白地帯となっている。住民の唯一の足は市バス改め「大阪シティバス」かチャリンコしかない。将来的には地下鉄長堀鶴見緑地線が延伸するという話だが、実現の見込みは薄い。昭和山と団地のある千島、ホルモン焼とうちなー居酒屋多めな泉尾のアーケード街、かつての琉球人スラム地帯だった「クブングヮー」など、色々濃ゆいものがある。

歴史・街のうんちく

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街のツッコミどころ

恐らく大正区で一番栄えているっぽいアーケード街「泉尾商店街」
【大正区】大阪の沖縄出身者が生み出したソウルフード・ホルモン焼を食べに「泉尾商店街」に行ってきた
大阪市ベイエリアの一角を占める「大正区」は人口の3分の1、もしくは4分の1ほどが沖縄出身者とその子孫であるとされている。戦前、工業化で発展を迎えた大阪に出稼ぎに来た沖縄県人がコミュニティを築き、それが今の今まで日本最大級のウチナータウンとし

泉尾商店街/国道43号線と大正通が交わる泉尾交差点から北西側にあるアーケード街。総じて土着民向けのしけた商店街にしか思えないが、これでも大正区に数あるアーケード街の中では最も栄えている。沖縄出身者が多い大正区というお土地柄だけにホルモン焼を扱う酒場多め。特に「ホルモンちから」は有名。

尻無川に唯一残る市営渡船「甚兵衛渡船場」

甚兵衛渡船場/大正区泉尾・港区福崎の間を流れる尻無川に唯一現存している市営渡船。歩行者・自転車はこの渡船場が無ければ国道43号まで迂回しなければ港区と大正区の間を往来することができない。船の上からは全国的にも珍しいアーチ型水門「尻無川水門」を拝むことができる。

大正区を代表するマンモス公団住宅「千島団地」も築50年オーバー
【大正区】全室DIY自由!大阪ベイエリア工業地帯の軍艦マンション「千島団地」を歩く
かつては紡績業で隆盛し「東洋のマンチェスター」の異名を誇る重工業地帯として、また港湾労働者がひしめく港町としても栄えた大阪ベイエリアの一角を占める「大阪市大正区」も、産業の衰退や環境の悪さから住宅人気には滅法乏しく、人口減少が激しい地域とな

千島団地/大正区千島二丁目。昭和47(1972)年に完成したマンモス公団住宅で現在もUR都市機構が管理する賃貸住宅である。港湾地域や工業地帯の労働者が多く住んでいた場所だが、住環境と交通便の悪さから不人気極まりないため、「全室DIY可・原状回復義務は原則免除」という特殊な条件で若い入居者を呼び入れている。

地下鉄工事で出た土で埋めて作られた大正区最高峰「昭和山」

千島公園/千島団地・大正区役所の南隣にある公園。標高33メートル、大正区最高峰(笑)の「昭和山」を中心とした都市公園になっていて、大阪万博開催時期に地下鉄工事で生じた大量の残土を埋めて作られた人工の山である。そうなる以前は“貯木場”だったんですけど、とても想像できませんよね。山のてっぺんからは大阪ベイエリアが一望できる。

大正区北村三丁目付近がかつての琉球人スラムだったというお話
【おきナニワん】その昔、大正区にあった沖縄出身者スラム「クブングヮー」とは何だ
日本最大級の沖縄出身者コミュニティが形成され、人口の3分の1だか4分の1は先祖が沖縄人と言われている「おきナニワん」な街、大阪市大正区。街のあちこちに沖縄料理屋があったり、玄関先にシーサーを置いていたりする家をフツーに見かけるほどの密度の高
クブングヮー
物件情報日本最大級の沖縄人コミュニティがある大阪市大正区。今でこそ「おきナニワん」と称した地元グルメを推してみたり地味に観光地としての可能性を模索している地域であるが、戦後の貧しさが残る時代にはガチなスラム地帯も区内に存在していた。それが「

クブングヮー/ウチナーグチ(沖縄方言)で言うところの「窪地」を意味する言葉で呼ばれていたのが現在の大正区北村三丁目付近。今ではテニス場と分譲マンションになっているが、ここに70年代まであったのが沖縄出身者が寄り集まって暮らしていたスラムだった。大正内港が整備されるなどもして風景が一変、スラム住民は近隣の泉尾七丁目などの市営住宅に移っており、現存しない。

公共交通機関でのアクセス

JR大阪環状線 大正駅/地下鉄長堀鶴見緑地線 大正駅 ※路線バス利用

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