かつては「弁天島」と呼ばれていた一帯。終戦直前に徹底的な空爆で灰燼に帰した大阪砲兵工廠の跡地が長年手付かずになっていたところに整備されたのが「大阪ビジネスパーク」である。ようやく80年代になって再開発が行われ、TWIN21やクリスタルタワーといった高層オフィスビルが林立する街並みに変貌したのは平成に代わってからの話。1996年に地下鉄鶴見緑地線(当時)の延伸で開業した駅があり、寝屋川を挟んだ向かいの都島区片町にはJR東西線の大阪城北詰駅が近接している。
歴史・街のうんちく
街のツッコミどころ
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【日本三文オペラ】大阪市城東区の在日コリアン集住地!伝説の「アパッチ部落」を訪ねて【夜を賭けて】
日本第二の都市・大阪には、太平洋戦争中に大日本帝国陸軍の極東アジア最大の兵器工場「大阪砲兵工廠」が存在していた。現在の大阪城公園や大阪ビジネスパーク、UR森ノ宮団地、大阪地下鉄の森ノ宮車庫などになっている場所である。戦争末期に広島や長崎に原
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アパッチ部落
戦時中、アジア最大の軍事工場「大阪砲兵工廠」があった現在の大阪城公園東側一帯。終戦前日の米軍による集中爆撃で壊滅し、広大な砲兵工廠の敷地に残された金属類をこっそり回収しそれで生計を立てていた「アパッチ族」と呼ばれた在日朝鮮人集落が存在してい
アパッチ部落/戦後の混乱期、生活の糧を求めて荒れ果てた大阪砲兵工廠の跡地に忍び込み金属類を掻っ払って暮らしていた「アパッチ族」と呼ばれる、主に在日コリアンを中心とした人々の存在。今も城東区鴫野西二丁目の一角に雑然とした住宅地が残っており、これが当時のアパッチ族が暮らしていた場所だとされている。確かに今でも在日コリアンの苗字を掲げたお宅が多く、大阪の戦後史のリアルさが垣間見られる場所である。
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片町駅跡/京橋から四條畷・木津方面に伸びる「JR学研都市線」の愛称も古い世代の間では馴染まず未だに「片町線」と呼ばれる事が多いらしい。1997年までは現在のJR東西線大阪城北詰駅前の片町東交差点角に「片町駅」があって、今は駅舎があった所が民間の洗車場になっていて、線路があった場所はご覧の通りの空き地。駅の面影はどこにもない。
公共交通機関でのアクセス
地下鉄長堀鶴見緑地線 大阪ビジネスパーク駅/JR大阪環状線 大阪城公園駅/JR東西線 大阪城北詰駅/JR学研都市線 京橋駅/京阪本線 京橋駅