明治時代に築港大桟橋が整備されて以来、大阪の港湾機能の中核地域として栄えてきた街。大阪市電が初めて通ったのもこの場所からで、昭和36(1961)年に地下鉄中央線(開業当時の名称は4号線)が整備された時もこの駅が始発駅だった。80年代には南港に港湾機能が集約されて港町としては寂れていたが、天保山ハーバービレッジが整備された90年代以降は観光地化。
歴史・街のうんちく
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街のツッコミどころ
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中央突堤/かつては大阪港の港湾機能の中核を担ってきた「築港大桟橋」。ここから大阪市の近代化の歴史は始まった…と熱っぽく語るべき場所なはずだが、現在「中央突堤」となっている当地付近は海遊館などがある観光ゾーンから離れておりろくに整備も行き届かない残念な姿を晒している。横浜の大さん橋のそれと思って来ると間違いなくがっかりスポット扱いされることだろう。それでもここから眺められる、大阪湾に沈む夕日の綺麗さには定評がある。
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なみはや大橋/大阪市港区海岸通と大正区鶴町を結ぶ橋。見ての通りの豪快なビジュアルから“なにわのベタ踏み坂”の異名も。当初は「尻無川新橋有料道路」という名称で、通行料として自動車100円、原付10円が必要だった。1995年から共用されているが、対岸の大正区側の「鶴浜埋立地」の利用方法が定まらず長らく“負の遺産”となっていた。現在はIKEA鶴浜と東京インテリアの店舗があり、阪神高速経由で遠方からの買い物客も利用する。
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グリーンギフトショップ/地下鉄大阪港駅から天保山ハーバービレッジに向かう道すがらにある土産物屋…のようだが、店先には乱雑に積まれた古着やガラクタの数々と、様々な国の言語で書かれた張り紙が吊り下げられ、挙げ句には二階の窓からも着物や帽子がぶら下げられており、どう見てもゴミ電波屋敷にしか見えない。昔は外国人船員が立ち寄っていた一画で、それを相手にしていた土産物屋の成れの果てのようである。
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天保山渡船場/天保山公園の一角にある大阪市営の渡船場。大阪市港区海岸通と此花区桜島の間を結び、特に此花区を通る市営渡船はここが唯一現存するものだ。対岸にあるユニバーサル・スタジオ・ジャパンに通勤する外国人スタッフの姿をよく見ることができる。港区側に社員寮があって、毎日チャリで通勤しているという。
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天保山客船ターミナル/天保山ハーバービレッジと天保山公園の間に使われずに放置プレイになった建物がある。かつては徳島や高松方面に出るフェリーの乗客が利用していた客船ターミナルである。明石海峡大橋の開通でフェリーの役目が終えてもう20年も経つのに、建物自体は未だにそのまま。
公共交通機関でのアクセス
地下鉄中央線 大阪港駅